環境学習Vol.12「浜大津の今昔」 |
更新日:
2016年1月19日
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本日は、まちづくり大津取締役事務局長の元田さんをお招きし、浜大津の変遷と琵琶湖の環境についてお話を伺いました。
まずは「大津百町おもしろ発見地図」を見ながら大津城の解説です。大津城は1586年頃、豊臣秀吉の家臣浅野長吉(長政)によって築かれた水城。関ヶ原合戦を東軍の勝利に導いた大津籠城戦は有名で、合戦後、城の本丸は彦根城に移築され、その他の部材は膳所城として再生されました。
大津城が存続しなかった理由のひとつに、長等山-大津城間が当時の大砲の射程距離だったことから、リスク回避のため現本丸町(膳所城)に再生されたとか。また現在の川口公園は大津城を囲む堀だったことも分かりました。
元田さんは琵琶湖汽船取締役だったこともあり琵琶湖の環境も大変詳しいです。昭和30年代、ゴルフ場の開拓では山から赤い水が流れていたことや淡水で初の赤潮発生、外来種の繁殖、水草(藻)問題など、この60年で著しく琵琶湖の環境が変化したと話されました。
面白いエピソード・・・ミシガン(琵琶湖汽船)は後部外輪船であることから、パドルによって水の停滞を防止し酸素を供給することで水質浄化に寄与しているのでは!と思い、某環境保全団体に申し出たところ、比叡おろしの一吹きに比べれば微々たるものと言われ消沈したそうです・・・
歌川広重「木曽街道六十九次・大津」では、辻の札から蝉丸神社までの賑やかな町並みと琵琶湖を望む景観が描かれています。当時大津中央の人口は1.4万人と非常に栄えていたようですが、現在は1.1万人まで減少し繁栄の面影は消えてしまいました。
その他、明治・大正・昭和の画像を見ながら、浜大津一体の変遷を分かりやすくご説明いただき、改めてこの地の今昔や琵琶湖の環境を知ることができました。元田さん、本日は誠にありがとうございました。
食事:この時期はやっぱり鴨すきと諸子の炭火焼きですね! 場所:琵琶湖ホテル |
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