2LC表敬訪問例会&地域社会学習Vol.9「甲賀忍者」A
更新日: 2016年11月8日
第2部 講演会

「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に『金目教』という怪しい宗教が流行っていた…」のプロローグで始まるテレビドラマは、1967〜1968年に放映された「仮面の忍者 赤影」です。怪獣、UFOなど何でもありの世界観に夢中だったことを思い出します。

しかしながら、我々が刷り込まれた忍者像と実像とに乖離があることは皆さまもご存知のはず。でもまだまだ謎に包まれていることが多いですよね。そこで本日は正真正銘の甲賀忍者の末裔であられます、甲賀忍術研究会の西田武史氏から忍者の実像についてお話いただきました。

まず、忍者とは・・・
「彼(敵)を知り己を知れば、百戦して危うからず」:孫子の兵法より
室町時代末期から戦国時代にかけて上記を達成するため、高度な知識・技術を習得した地侍などが傭兵となり敵地に入り込み極秘情報を収集して持ち帰って報告したり、こちらの有利になる情報を故意に流したりする特殊作戦・諜報部隊が主な任務でした。

「人の知ることなくしてく巧者なるを上忍とするなり」
要は戦わずして勝つってことですかね。理想の戦い方であり、実現できたらかっこいいと思います!

西田氏の自己紹介では、今から7年前、西田氏が岸和田藩(5万3千石)お抱えの「甲賀五十人衆」の子孫だったことが親戚から聞いて始めて知ったそうです。馬杉家に残る岸和田藩甲賀五十人連名と西田家に残る望月家との神文之事(誓約書)の名前「西田文太」が一致したのです。

この神文之事に記載されていた他言無用といった内容や、江戸時代の文献に「忍びの技術を持っている武士」という記述が多く見られ、「武士」の家系として後世に伝わったために、先祖が忍者であったことを知らない人がほとんどだそうです。

甲賀市では今年1月の調査で、甲賀地域で有力な忍者集団とされる「甲賀武士53家」と同じ名字の725世帯にアンケートを送付したところ、224世帯が回答し、うち88世帯が忍者の子孫と答え、31世帯が忍者ゆかりの品物として手裏剣類や装束、巻物などがあると答えたそうですが、西田氏曰く、まだまだ先祖が忍者であったことを知らない人は大勢いるに違いないと仰いました。

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