地域社会学習Vol.11「穴太頭」@
更新日: 2016年12月6日
アッという間に師走へ突入です。これから忘年会が加速しますので、皆さま暴飲暴食にご注意を!

12月の誕生日・・・L森田、L山中にはL太田作「組紐ネクタイ」を、L岸本にはL北村より「タニムメ産うなぎの蒲焼」を会長より贈られました。お誕生日おめでとうございます!

さて本日の勉強会は、石積みのある門前町「坂本」に関連する題材です。坂本は比叡山延暦寺と日吉大社の門前町として栄え、豊かな自然と延暦寺の僧侶が隠居した里坊が残っており、里坊や神社、古い民家などの石垣には穴太衆積みと呼ばれる石積みが多くみられます。門前町の風情ある美しい景観を作り出すのに大きな役割を果たしており、なかでも滋賀院門跡の石垣は最も美しいと言われています。皆さまもそういった視点で坂本の町を観察してみてはいかがでしょうか!

江戸初期の最盛期、徳川幕府に認められた数人が、穴太頭として活動していました。全国に散らばった衆に免許状を授けるなど重要な役目を担った穴太頭について、本日は郷土史家の松野孝一氏をお招きしご講演を賜りました。

まず穴太衆の石積み技法はといいますと、自然の石の形をそのまま活かしており、一見崩れやすそうに見えますが、実はとても頑丈な組み方で、表面には小さく見えている石が奥行きのあるくさびのような石を使用したり、土が水を含んで膨張すると石垣の表面が膨らんで崩れることになるので、奥に栗石(ぐりいし)と呼ばれる小さめの石を詰めて水はけを良くするなど、見えないところに素晴らしい技術が隠されています。

織田信長による延暦寺焼き討ちの際、寺の全てを取り壊そうとしても、穴太衆積みの頑丈な石垣だけは崩すことができなかったそうです。その技術の高さを認められ、映画「火天の城」でも見たとおり、信長が安土城築城の際に導入したのは有名な逸話です。それ以来、全国の築城にこの技術が導入されることになり、彦根城や二条城、大坂城、江戸城、名古屋城、姫路城など現存する城郭の約8割に活かされています。

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