地域社会学習Vol.12「三方よし」@
更新日: 2017年1月24日
本日は、東近江市観光協会事務局次長の百々孝義氏(どど・たかよし)より、お待ちかね滋賀県の題材にもってこい・・・「三方よし」についてご講演を賜りました。私も首を長〜くして待っておりましたです。ハイ

まず近江商人(江州商人)は皆さまもよくご存知のとおり、中世から近代にかけて活動した近江国・滋賀県出身の商人で大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つです。現在でも俗に滋賀県出身の企業家を近江商人と呼ぶことがあります。その近江商人の商法から話が始まりました。

通常、近江国外に進出して活動した商人のことを近江商人と言い、活動地域が近江国内に限定される商人は「地商い」と呼ばれて区別されていました。その中で近江商人の発想、理念、行動を形成したのが行商においてであり、地方での「よそ者意識」から学んだ処世術といいますか、信用を得るために大切にしていたのが「三方よし」の精神なのです。

江戸後期、彦根藩の経済政策(麻織物生産の奨励と、農民による商業活動の許可)によって農民が農閑期に行商を行っていたのが、諸国産物廻し(のこぎり商法)といい、都市部で仕入れた商品を地方に売って、その足で仕入れた地方の特産品を都市部で売ることを得意としていました。また北海道との交易にも目をつけ、西回り航路「北前船」の主導権を握っていました。それらを享受してきたこともあり財閥系以外の総合商社は近江出身が多かったんですね。

「売り手の良し、買い手に良し、世間に良し・・・三方よし」の家訓は、1754年、中村治兵衛(70才)が婿養子宗次郎(15才)に教えた家、家業のあり方を3メートルもの長文で受け継がれています。

その他にも、「先義後利栄」西川利右エ門(近江八幡)、「積善の家に余慶あり」塚本喜左衛門(五個荘)、「始末第一に、商売に励む」中井源左衛門(日野)などの家訓、店則、遺言書、口伝によって、自らの人生で得た知識や経験を子孫に残されたのです。


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