地域社会学習Vol.5「大津芸妓の四方山話」A
更新日: 2016年7月26日
答え
@6.7メートル
Aどこの置屋かすぐに分かるように
昔は9才頃から舞妓になれたそうで、まだまだ子供ですから夜が更けると、よく寝込んでしまったそうです。そこで帯の家紋で置屋を確認し抱っこして連れて帰ったというお話・・・なんとも健気というか無邪気というか・・・複雑な心境ですねー

ところで夕子さんはというと、まるでドラマのような数奇な運命を辿ることになります。芸妓として5年間宮川町で活躍しておられましたが、ご縁があって東京新橋へと旅立ちました。新橋で芸者としてお座敷に、舞台にとご活躍されていたのですが、無理がたたったせいか身体を壊され5年で京都へ戻って来られます。この頃は身も心も弱りきっていたことでしょう。お察しいたします。

またここから大仕事の始まりでして、大役のお声が掛かります。京都島原の太夫時代へと移っていきます。現在も営業を続けている置屋兼お茶屋の「輪違屋」でのエピソードは、あまりに著名な方々が登場されるため“ピー”でお許しください。有名な「傘の間」には近藤勇の額や桂小五郎の掛け軸があることだけお伝えしときます。

太夫は御所に上がる事のできる正五位の位を持っており、高貴な人たちのお相手がきちんとできるように、茶道、華道、書道、和歌、琴、三味線、唄、舞踊に至るまで嗜むことができる・・・まさにスーパー・ホステスですね。さすが夕子さん!脱帽いたしました。

さてここで次のクイズです。
B太夫の帯は何という漢字で結んであるでしょうか?
C太夫の身に着けている着物、飾りなどの重さは何キロあるでしょうか?

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