地域社会学習Vol.8「琵琶湖ワインの歩み」@ |
更新日:
2016年10月25日
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10月1日は日本酒の日でした。滋賀県内のいろんな場所で、乾杯を一斉に行おうというプロジェクトが開催され、その人数は県内で10,000人を目指しています。当クラブの例会に講師でお招きした「萩乃露」福井さん、「浪乃音」中井さんたちが中心となって頑張っておられます。そんな中ではありますが、本日は草津の名代である太田酒造社長 太田精一郎氏をお招きして日本酒ではなく?・・・ワインの話を伺うことにしました。
県内にワイナリーが2つあることはあまり知られていません。ひとつは紅葉で有名な永源寺近くにある「にごりワイン」の専門メーカー「ヒトミワイナリー」です。大のワイン好きだった創設者・図師禮三氏(ズシ レイゾウ)が1984年60歳を機に、ゼロからのスタートで自家農園の葡萄畑やワイナリーを作り1991年正式にオープンさせました。
そしてもうひとつは太田酒造が運営する「琵琶湖ワイナリー」です。まず太田家の祖先である室町時代の名武将 太田道灌の逸話。道灌は江戸城の築城に携わり、東京の開祖といわれています。永享4年(1432年)生まれ。康正元年(1455年)に家督をつぎ、上杉定正の執事となります。同3年(1457年)に江戸城を完成させ居城。文明8年(1476年)におきた長尾景春の乱を同12年(1480年)に鎮定させ軍法師範と称されました。また和漢の学問や和歌にもすぐれ万里集九らとの交流もありました。文明18年(1486年)7月26日55歳、あの悲運な事件が起こります。1476年の山内(やまのうち)上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)におとしいれられ、君主定正に暗殺されました。
太田家はかつて水陸交通の要所として盛りえた草津において3代将軍家光の命を受け、その動静を見守る関守の役目を代々務めてきましたが、太田家の酒造りは、約130年前の江戸末期にさかのぼります。当時所有していた田畑と、その年貢米の近江米を有効に使うために酒造りをはじめたのです。
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