5LC交流例会&地域社会学習Vol.13「大津の歴史的な変遷」@
更新日: 2017年3月14日
本日は5LC交流例会でした。遠方からもお越しいただきまして感謝申し上げます。交流例会ですから、懇親を深めて有意義な時間にしたいと思います。いつも通りセレモニーがあり、3月が誕生日のL江口とL和田が紹介されました。二人とも3月2日が誕生日でした。もしかしたら性格も似てるのかな?

さて、昨年の5LC交流例会では、映画「マザーレイク」の瀬木監督とプロデューサー兼俳優である戸田ボスをお招きして、映画を通じて地域を活性させるお話を伺いました。そういえば、滋賀のブランド力はあまりに低く、47都道府県中43位と不甲斐ない順位でしたが、直近の情報では33位まで上昇したそうです。まだまだ伸び代がありますから、みんなで盛り上げてまいりましょう!

そこで、我々も地元のことに関心を持って知識を深めたいと考え、大津市歴史博物館初代館長を務められた木村至宏先生にお越しいただき、「大津の歴史的な変遷」についてご講演を賜りました。木村先生は引き出しが多いのでお話が楽しみです。

琵琶湖の名称は16世紀初頭が最初とのこと。それまでは近淡海、淡海、水海、湖などと呼ばれていました。名前は竹生島にまつられている弁才天がもつ楽器の琵琶が湖の形状に似ていることに由来します。広く知られるようになったのは320年前で、これ以降広重の浮世絵や地図などに琵琶湖の名称が使われていきます。

縄文時代・弥生時代に遡りまして、狩猟で移動を余儀なくされる生活から、稲作によって食糧が安定し、その土地に人が住むようになりました。定住すると集落ができ人間関係が形成され組織化していきます。組織の長が亡くなれば墓が建てられるようになり古墳時代へと移行していくのです。

長等山から比叡山、比良山地にかけて湖西にある古墳の数は1,800にも及びます。そして古墳の入口はすべて琵琶湖側を向いているそうです。死後も美しい琵琶湖が眺められるように作られたのでしょうか。残念なことに戦後の困窮した時代、盗掘によって荒らされてしまいました。

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